2013年3月24日日曜日

海外登山講演会



海外登山講演会なるものが、24日に開催されていて山岳会の人がそちらに出席。私は中国語検定があったので出席できず、講演会が終わった後に山岳会の人と合流して講演会の話を又聞きする。
講演会の資料はかなり分厚い。そして情報量も多い。参加料2500円分の価値は十分にある。
京都府山岳連盟の合同隊が去年ネパールの遠征をした話。
京大山岳部のザンスカールの話など。

全体を聞いた印象は、生々しい。ぜんぜん楽しそうじゃない。

連盟の遠征はかなりすごい。
1人は躁状態に陥り、1人トップで突進して危険箇所を確保無しで突破。こう書くとなんか笑える話みたいだが、そのときは本当にヤバかったらしい。
またある人は高山病で単純な動作ができなくなってしまい、カラビナの使い方や下降器をどう使っていいかわからなくなり、懸垂下降ができなくなるなど。
またある人は行動中に雪盲に近いもので霧眼というもにかかってほとんど一時的に眼が見えない状態に。その人は移動中にオーバー手袋が外れているのに気づかず、凍傷になってヘリ搬送。結局指は切断することになったらしい。

恐ろしい。
高山病恐ろしすぎる。
海外登山ぜんぜんおもしろそうじゃない。笑

でも資料に載っている写真を見ると、絶対に行きたいと心の底から思う。

京大山岳部のザンスカールは手続き上は未踏峰。だけど、山頂にはケルンが積んであったらしい。実際にスノーバーをちょいちょい使ってスタッカットでいけたらしく、200mのフィックスロープも全く使わなかったらしい。聞いてるかんじはフツーにいけそう。ザンスカールは未踏峰がまだ21座あるらしい。山岳会の人曰く、講習会に参加した人たちがものすごくメモを取っていたらしいので、数年で京都の人に登りつくされてしまうとのこと 笑

でもどうやって2ヶ月も仕事を休む?どうやって2ヶ月も休める仲間を探すんだろうか?
お金はなんとかなるかもしれないけど、時間がなぁ。

2013年3月14日木曜日

2012中国旅游8日目 釜山・帰国

8月18日
とうとう旅行も最終日。朝、釜山港にいってフェリーを予約しにいく。
ん~。早く帰ってもいいし、ビートルにでも乗るか、と思ったがなぜか欠航。
予定通り16時間のフェリーに乗って帰ることになった。フェリーのカウンターが開くのは10時30分で待たされる。フェリーも無事予約できたので、梵魚寺というところにいってみた。地下鉄はとても便利。
地下鉄の駅からバスに乗り換えてお寺まで行く。
川が流れていて家族ずれが涼をとっていた。


立派な山門。
お寺のマークが私の家の家紋と同じ三ツ星に丸だった。
なにか縁があるのだろうか。気になる。

ハイキング客もちらほら
それにしてもよく晴れてる。
釜山は暑い。





色使いが鮮やか。日本にはない。


デスクトップに使ってる写真








沖縄みたいな雰囲気の道





構図とか光の加減とかを考えたらもっといい写真になってたかも。
8000円くらいの安いデジカメだと無理。



それにしてもよく晴れてる。
正面の花崗岩のところが山頂。


時間もあったので近くの山に行くことに













山頂に着いたー。


人が多い。
花崗岩の山頂
大田方面。





釜山港方面を望む。天気がよければ対馬とか九州が見えるのだろうか。

長く続く道。白く続く道は城壁だったらしい。


倭寇などの海賊のために作った城壁。
昔の倭寇を防ぐための城壁の遺跡。
























釜山は威海より暑かった。
ミニハイキングは綿のポロシャツだったために、汗でびっしょり。塩が析出してきている。
バスから地下鉄に乗り換えるところで冷麺を食べる。辛い。けどおいしい。


釜山の山道具屋。
扉のノブがシャルレになっている。
なんかもったいないような気がする。

釜山でお土産を少し買ったりして、フェリー乗り場へ。
結局この山道具屋の写真で今回の旅行の写真は終わっている。写真撮らなさすぎ。


次の日に下関に着くと、税関で止められてバックの中身を探られる。(私だけ)
なんにもしゃべらないのも不自然だし、しゃべり過ぎても不自然。そういう雰囲気みたいなのを税関職員は目ざとく見ているのだろう。
下関駅についたのはいいけど、まだ下関。京都までどうやって帰ろうか悩む。新幹線で帰ろうかなぁとも思ったけど結局青春18切符を買って京都に帰る。(京都に着いたら金券ショップに売った。)

このブログも最初のほうはやる気があったけど結局最後はなぁなぁになってしまった。
読んでる人もそう少ないと思うので特に気にしない。

5泊10日の長い旅行は終わった。(京都から下関までの高速バスを入れると10日)
初中国だったけど中国の雰囲気はやはり日本と違うものがある。
でもいっしょのものもあるような気がした。
こんだけ近い国なのに、高速道路の橋脚の下で寝てる人やものすごいみすぼらしい格好な人もいた。年収なんか10万円とかなんだろう。日本語ができたホテルの人は日本に旅行に行きたいと言っていた。でも手続きやらなにやらでそう簡単にいけるものでもないらしい。
中国に行った後韓国に。韓国はもっと日本に近かった。
こういうことを感じたり考えたりすることはずっとやっていきたい。
そして日本って国は狭い。世界は広いってことをつくづく感じさせられた旅だった。またいこう中国。